P5  NEWS       SHONAN TAX OFFICE  NO.228
 



 
 
平成20年9月1日
 
石高(こくだか)
 
 真夏の暑さから少しだけ解放されて、朝晩は秋が感じられるようになりました。暑さにうだってサボり気味でしたので、これからは少し発破を掛けて仕事をしようと自分に言い聞かせています。

 

 さて今回も、前回の続きで日本の税の歴史をお話しいたします。
 天皇権力が顕著になったといわれる大化の改新による政治改革によって、中国からとりいれた「律」と「令」という法律による律令国家がスタートしました。
 

 朝廷は,日本で最初の年号を冠して大化元年(645年)としました。その翌年に,それまでの豪族が私有していた土地と人を,朝廷(国家)が直接統治する公(こう)地(ち)公(こう)民(みん)を実現しようとしました。その一環として全国の耕作地を区分けして、それを民にリースします。ここで面白いのは、唐の均田法を参考にした班田収授法(はんでんしゆうじゆほう)によって、6歳以上の一般農民である公民の男子に二反(たん)(その当時は、今より広く一反(段)は360坪),女子は男子の2/3の口分田が与えられました。何で6歳だったのかよく分かりませんが、面白い制度です。

 

 口分田は貰った民が生きている間は耕作することができますが、売買は禁止されていました。このために,前回お話ししたように誰が住んでいるかを把握するために戸籍が必要となったようです。ということは,家族(所有している奴婢(ぬひ)なども含まれます)が多ければ口分田が沢山もらえます。

 

 ちなみにどこの教科書にも、班田収授法の記述はありますが、その通り口分田が与えられたかどうかは、はっきりしません。耕作地は、当然、限られたものであったはずですし、そう簡単に増やしたりすることはできなかったでしょうから、むしろ土地の国有化を宣言するという意味しかなかったのではないかと考えられています。一説には一般農家の実際の耕作面積を六歳以上の男女で割った平均値だったともいわれています(田名綱『古代の税制』41頁)。

 

 西暦700年代半ばには、新しく開墾した土地を私有地にすることを認める墾(こん)田(でん)永(えい)年(ねん)私(し)財(ざい)法(ほう)が出されることになり,名目的な公地公民が崩れていきます。一般農民の生活の道は耕作以外になかったわけですから、耕作地を持って貰い労働力を確保する方が重要だったのでしょう。

 そんな話はどうでも良く、本題の税の話に戻ります。
 口分田を貰って(預かって)も、国にリース料(税)を払わなければなりません。それが小中学校の教科書に出てくる「租(そ)・調(ちよう)・庸(よう)」という税です(我々の頃は「ソ・ヨウ・チョウ・ゾウヨウ」と言ってたと思いますが、今の教科書はソチョウヨウとなっています。)。
 

 簡単に言いますと、お米(稲)で納める「租」、布で納める「調」と労働による「庸」の義務を税としていました。すなわち,物と労力が大切な税金だったのです。

 今では、もちろん金銭で払いますが、その頃の日本には、まだお金はそれほど流通していません。
 









 

9月の税務・総務予定


(税務)
*個人消費税の中間申告振替納税            9月26日(金)
 

(総務他)
*防災訓練
*秋のレクレーションの計画
 

 
 

 日本の最初のお金は、708年に作られた「和同開珎(わどうかいほう)」だといわれていますが、これとてどれほど流通していたか定かではありません。そこで物や労力が税の主流で、むしろ労力の方が重要だったようです。国ができれば道を造ったり寺や大仏を造ったりするために自由に使える人の力こそが必要でした。でも労力を出す方は大変です。21歳から60歳までの男には等しく課せられたと言いますから、貧しい民はたまったものではありません。

 

 そんな訳で米を税とする「租」は、その当時はあまり重要視されていませんでした。この当時の「租」は、収穫された稲の3%ぐらいだったようです。簡単に言いますと、百束の米を収穫できる土地には三束の税を払うとされていました。半々である五公五民になるのは、その後の時代です。ちなみに税金として差し出す方が「公」で、農民の取り分が「民」です。その意味では、個人の税は、最高税率で50%ですから現代の税も五公五民なのかも知れません。

 

 しかし、「租」は少なくても米を布に換えて「調・庸」に当てなければなりませんので、もっと重税でした。

 

 大化の改新の時の税のうち、米を税とする「租」は、財政的な見地からも,農民の負担からしてもあまり重要視されていなかったようです。米は、重たく流通に適しませんし、むしろ軽い布の「調」による物や労働力による「庸」の税の方が遙かに重要だったようで、農民にとっては過酷なものとなっていました。

 

 一方、物というのは運搬が大変です。特にお米は重たい。今でこそ道路は整備されていますが、江戸時代でも陸送は困難で,主流は水上運送です。「人は陸・物は海」だった訳です。そんな訳で、北前船を仕立てて北海道に渡り,海産物を仕入れて国内に販売した銭屋五兵衛は有名ですし、豪商と言われた廻船問屋も多数現れました。

 

 話を戻しますが、昔は米1石の収穫が上げられる田の面積を1反としていました。1石は10斗、100升、すなわち

1,000合です。米1合がおおむね1食分ですので、1石は1人が1年間に消費する量にほぼ匹敵します(365日×3合/日=1095合)。このため、米1石が穫れる面積を分かり易く反という単位としたようです。
 

 話を元に戻しますと、1石のお米を作る面積がおおむね360歩(坪)であったことから、1反は360坪になりました。もちろん地域によっては、収穫の量が違うでしょうから、面積も一定ではありません。その後の太閤検地によって1反は300坪に改められ、今でもそのようになっています。

 

 江戸時代、百石取りの武士は、「百石の米がとれる土地の領主」で、四公六民,あるいは五公五民ぐらいだとしますと、おおよそ50石が入りますので、50人を養える武士だといえるのかも知れません。

 

 布などで払う税である「調」は、土地や戸(家単位)で課せられて、50反の農家の調は絹一丈(じよう)(3mぐらい)、布ならば四丈だそうです。そのほかにも、雑(ぞう)徭(よう)・雇役・兵役などの労働負担を強いられていました。特に兵士・防人などに徴発された場合には、武具も自弁しなければならず、農民にかなりの負担がのし掛かることになります。

 

 この頃、節税・脱税とはどのような方法があったのでしょうか。

 重い負担となっていた税を逃れるための方策はそれ程無かったようで、戸籍の申告を偽り,男を女としたり老人を多くして申告していたようです。確かに貰える口分田は減少しますが、労役を逃れることはその比ではなかったのです。
 

 あるいは粗悪な調物を納入することも行われていました。そして最後は、耕作地を逃亡するしか道はありませんでした。その結末は厳しいものであったようです。今で言う、節税・脱税などという生やさしいものではなく、生活ができず、離散をするしか方法は無かったのです。

 

 中世以降の農民のように積極的な一揆で立ち上がることはありません。このような厳しい税の結末は、律令国家を衰退と崩壊に導くことになったのです。

 
省 略
 
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Q&Aコーナー
 
 先月はお休みとしてしまいましたが、また源泉所得税のに関するQ&Aです(http://www.nta.go.jp/)。

 

【過去に遡及して残業手当を支払った場合
Q.当社では、今年労働基準監督署から、サービス残業の指摘を受け労働者に実労働時間に即した割増賃金を支払うことになり、過去3年間(平成17年1月から平成19年12月)の残業手当の差額を一括して支払うことになりました。課税年分は何時になるのでしょうか。
 
A.残業手当の差額分は、本来各支給日に支払うべき残業手当が一括して支払われたわけですから、本来の支給日の属する年分(平成17年から平成19年)の給与所得となります(所基通36−9(1))。年金の追加支給と同じで,発生した年分に遡って計算し直します。しかし色々と問題が起きそうです。
 なお、給与規程等の改訂が過去に遡って実施されたため、残業手当の差額が一括支給されるような場合には、その差額について支給日が定められているときはその支給日となります。
 
【通勤・住宅手当を合算して支給する場合
Q.我が社では、通勤に係る支出と住宅に係る支出との負担関係がおおむね反比例になることから、通勤手当と住宅手当を合算して住宅通勤手当として定額支給することを検討しています。この場合、通勤費実費相当額(最高10万円)については、非課税の通勤手当として認められますか。
 
A.給与明細書等において、通勤費の実費部分の額が通常の給与に加算して支給される通勤手当として区分識別できるのであれば、非課税の通勤手当として認められます。
 この事例では、通勤手当と住宅手当との合計額の上限を定額にして手当を抑えようとするものと思われます。定額の範囲内で支給される通勤費の実費が、通常の通勤経路及び方法による合理的な運賃等の額で、その部分の金額が区分識別し得るものであれば、非課税となる通勤手当に該当します。 なお、その手当を支給する際には、通勤費の実費部分について通勤手当として加算した旨を明確に表示する必要があります。したがって、例えば、「住宅通勤手当45,000円(うち通勤手当28,000円)」などといった表示が必要となります。
 
 省 略
 

編集後記
 

 今年の夏は、短期間で局地・集中的に多量の雨が降るゲリラ豪雨によって沢山の方が被害を受けました。地球温暖化の影響でしょうか。まだ続きそうです。


             編集発行 株式会社プランニングファイブ