P5 通 信
NO.87
平成8年12月1日

年寄りと孫

昔々、あるところに大変年をとったおじいさんがおりました。おじいさんは、年のせいで目はかすみ、耳は遠く、膝はぶるぶる震えていました。このおじいさんは、食卓に座ってもさじをしっかり持っていることができず、スー プをテーブルクロスの上にこぼすわ、一度口に入れた物もぼろぼろとこぼしてしまいます。
おじいさんの息子と息子のお嫁さんは、それを見ると胸が悪くなり、このおじいさんをテーブルの隅っこへ座らせることにしました。息子夫婦は、おじいさんの食べる物を、素焼きの瀬戸物のお皿に盛りきりにして、おまけにお腹一杯食べさせることもしませんでした。おじいさんは目を潤ませてお膳を眺めていました。
ある時のこと、おじいさんのぶるぶると震える手からお皿が床に落ち粉々に壊れてしまいました。若いお嫁さんは、小言を言いましたが、おじいさんは何も言わずに、ため息をつくばかりでした。
お嫁さんは、僅かな銅貨でおじいさんに木の皿を買ってやって、それからは、おじいさんはそのお皿で食べることに決められました。
3人がこんな風にイスに着いているとき、4歳になる孫は、床の上で、しきりに小さな板きれを集めていました。
「何をしているの?」とお父さんが聞きました。
12月の税金予定
給与の今年最後の支払いの際に
年末調整を行います。
固定資産税の3期分の納税
条例で定めた日(通常1月6日)
「お木鉢をこしらえてるの」と男の子が返事をしました。「僕が大きくなったら、この木鉢でお父ちゃんとお母ちゃんに食べさせてあげる。」
これを聞くと、夫婦は、ちょっとの間顔を見合わせていましたが、とうとう泣き出しました。そして、すぐ年寄りのおじいさんを食卓へ連れてきて、それからは、しょつちゅう一緒に食べさせ、おじいさんがちょっとぐらいこぼしても何ともいいませんでした。
(参考、「グリム童話集2」岩波文庫)
日本では、特別養護老人ホームの建設という名目で国のお金を役人が個人的に使っていました。高齢化福祉という大義名分があれば、多額の予算を計上し、一度予算がおりればその自由度は役人の思い通りです。予算が余らないように無理にでも使おうとするそのような行政体質そのものに問題があるのかも知れません。
角界の税金
つぎは、相撲界の「年寄」という親方株の話です。
二子山部屋の税務申告で申告漏れがあったと報じられた新聞記事をお読みになった方も少なくないと思います。
これは、花田家の税務申告に係るもので、二子山親方が兄の元横綱若之花から「二子山」の親方株を三億円で取得しましたが、その時の資金は後援会から出たものであったのですが当初申告はなされていませんでした。この金額を一時所得の収入金額として税金を増額する修正申告をしたようです。
又横綱貴之花と大関若之花は、スポンサーから受けた賞金を事業所得で申告し、貴之花、若之花とそれら夫人に親方夫人の五名は、貴之花の結婚式放映料を雑所得として申告しましたが、それぞれその必要経費を、一律、収入の30%で計算していたものを実際にその収入を得るために支出した費用に修正しました。
親方株については、相撲界に関係の無い一般人にはよく判らないところだろうと思います。横綱経験者に1代限りに認められる以外の通常の親方株は、売買、質入れは禁止されているものの弟子などの後継者には譲ることはできるようです。この通りに解釈すれば財産的な価値はないものとも思われますが、報道が正しいとすれば、現実には年寄という親方株は、三億円という高額な価値を有しているのでしょう。勿論これにも色々な考え方ができるでしょう。
例えば、売買が禁止されているとするならば、現二子山親方の後援会が、前二子山親方に、親方株承継のお礼として贈与されたという考え方です。この場合には、現二子山親方に対する課税関係はおきず、旧二子山親方に一時所得として課税されることになります。(現時点では旧二子山親方は譲渡所得として課税があったと思われます。) あるいは、後援会が親方株を管理しているという考え方もあるかも知れません。これらの考え方の弱さは、親方株という資格を使って相撲界で生活しているのはその親方だということ、そして次の承継先を決めることができるのはやはりその親方であろうと思われることから、この申告によるものが一番妥当であろうと考えられます。今これらの改革が行われようとしているそうですから、それによっては課税方法が異なることになるかも知れません。
いずれにしましても、建前は建前、課税は課税というのでは、国技である相撲界の信頼は保たれないでしょう。
次ぎに、事業所得、雑所得の必要経費を一律30%という低率で行うことについてですが、過去に記帳が普及するまでの間便宜的に収入に一定率(標準率)を掛けて所得計算をするという方法が採られていました。勿論、標準率は、それなりの統計に基づいたものでしょうが、戦前の申告納税制度導入前の方法がやむを得ない場合など実際に使われていたのも確かです。そしてこの標準率は、税務当局で部外秘として扱われていました。現在の税金の計算に於いては、課税するための推計課税の方法以外では、実額で行うことが法で定められいますから、標準率のはいる余地はないわけです。全体で七千万円を超えた結婚式の独占放映料についての必要経費が何があるかという問題はありますが、実額により更正(当初の税額を税務当局が増額して計算し直すこと)を受けた場合にそれに立ち向かっても法の保護は受けられないでしょう。これの問題は、一部で標準率が使われているとする事こそが問題ではないでしょうか。雑所得というザツな所得などは、こんなものだと考えること、そして今までそれが使われてきたこと、そして何ら課税上の問題が起きなかったことをこの貴之花関などの税務報道を通じて考えるべき時に来たと受け止めることができれば良いのですが・・・(参考「税理」39.16.123)

P 5 Corner

除夜の鐘
(株)P5では、経営計画策定、保険・不動産等の
資産運用業務を行っております。

もう、今年も僅かですね。でもこれから大晦日までが公私にわたって忙しくなる時期です。
大晦日といえば、除夜の鐘を思い出します。百八つの鐘の音は、深々と氷のように冷えた山々のお寺から打ち出されます。除夜の鐘が人間の百八つの煩悩を追い払うそうですが、百八つも煩悩なんて持っていそうもない人もかなり居るように見えますが、人間の煩悩とは、外面から見て判るほど単純ではないようです。人間には、視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚に心覚というものががありますが、人間にはそれを感知する目、耳、鼻、舌、身、意の仏教で言う「六根」が、それぞれ良い、普通、悪い、何でもない、楽しい、苦しいの六通りの感情で三六通りの煩悩があります。それにこれら煩悩には、過去、現在、未来の三世にわたりますから併せて百八通りの煩悩となるそうです。お寺の梵鐘には、煩悩の数だけのイボがついています。煩悩を打ち払って、来年が良い年になりますようお祈りしております。

編集後記
日常業務に追われ続け気がつけば、カレンダーは最後の一枚になってし
まいました。やりたいことの半分もできない内に、一年が終わってしまう
感じで焦ってしまいます。来年こそは!と思い続けて??年。やっぱり来
年こそ!と思いつつ平成8年が終わりそうです。
編集発行 株式会社プランニングファイブ


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Last Updated: 30/DEC./1996